こんにちは。
秋田県秋田市で〈株式会社See Visions〉というデザイン事務所を運営している
東海林諭宣(しょうじ あきひろ)と申します。
2006年に秋田市で設立し、今はグラフィックデザイン、ウェブデザイン、
イベントの企画・運営、店舗デザイン、リノベーション、編集、出版、不動産、
施設運営、飲食店の経営など、事業は多岐にわたります。
ご依頼いただく内容はさまざまですが、過去のプロジェクトの共通点を挙げるとすれば
「そこに理由を見つけられた」こと。その価値を伝えるために、なぜ必要なのか、
なぜそこにあったのか、なぜ伝えたいのかを見出せることが、
私たちが動くモチベーションになっています。
多くの社会課題を抱える秋田県で事業を進めるなかで、私たちが、どんなことを考えて、
何を目指しているのか、全10回となるコラムを通してお伝えできればうれしいです。
初回となる今回は、2006年の創業から初のリノベーション事業となった
〈酒場カメバル〉についてご紹介します。
2006年、秋田県でSee Visionsを設立しました。
東海林が東京で活動していた個人事務所の屋号をそのままいかした社名です。
大学を卒業後、就職氷河期といわれた時代に「自分の好きなことを仕事にしよう」と決め、
飲食店を中心とした店舗の設計・企画・デザインをする会社に勤めます。
やりたいことが仕事になった喜びで必死にデザインの基礎を学びました。
その後、都内でのフリーランスを経て、2006年に株式会社See Visionsを
秋田県秋田市で設立し、都内の仕事もあったので3年ほどは2拠点生活をしていました。
秋田県は若者の流出や少子化による過疎化、高齢化、経済面の弱体化など、
地方都市共通の課題を多く抱えています。データで見ても、出生率、婚姻率、死亡率が
ワースト1位で、「全国最悪のペースで進行する人口減少に歯止めがかからない」
というのが秋田県を取り巻く状況です。
Uターン直後はこうした秋田の厳しい状況を感じて日々を過ごしていました。
当初はデザイン料金を値切られることも多くありました。
デザインで飯を食うことの難しさを痛感していたものの、
デザイン事務所を開設する意義を「デザインとアイデアで笑顔をつくる」とすることで、
自分たちが住みやすく、楽しく生きていける環境をつくることができれば、自分にとって、
そして地域にとっての課題解決の一助になると信じ、奮い立たせる日々でした。
Page 2
自分たちが住みやすく、楽しく生きるためには、
毎日過ごすまちが元気で楽しくあることが大切だと考えています。
学生時代はバックパッカーとして国内や海外を旅し、社会人になってもよく飲み歩き、
とにかくまちを楽しみ、まちの雰囲気を感じ、まちにダイブすることが大好きでした。
大いに歩き、飲み、旅をした経験から、私は
「いいまち」=「また行きたくなるまち」=「人の距離が近い店がたくさんあるまち」
だと思っています。気さくに声をかけてくれる店主や隣に座った客との情報交換。
そうした人との親密さを感じられる小さな経験が積み重なると、
「いいまちだな」「また行きたいな」と思いませんか。
次第に、小さなビジネスではあるものの、小さな飲食店など、まちに必要なコンテンツを、
少しずつでも増やしていきたいという思いが芽生えていきました。
当時から店舗のデザインをやっていたので、自ら空き店舗を見つけては
「こんなコンテンツがまちにあったら楽しい!」と自分が思うものを
お客様にコンセプトごと提案していくことが多くなりました。
ある日、秋田市が描いた中心市街地活性化区域の線から少し外れた場所にある、
南通亀の町に築60年の長屋を見つけました。空き店舗となっていたのは連なった2店舗。
元小料理屋さんとバーです。2階にはそれぞれ部屋があり、
風呂なしの住宅として利用されていたようでした。長屋のあるその小路は暗く、
照明もまばらで、立ち入るのを少しだけ躊躇するような場所です。
場所としては、“見放された地”のように見えましたが、かつての面影が残り、
大通りから小路に入るときのちょっと独特で怪しげな雰囲気がまたいいのです。
人を寄せつけない佇まいは、時代を超え、現代ではむしろ新鮮で
受け入れられる場所になっていくだろうと感じました。
さっそく、不動産会社(オーナー)へ連絡したところ
1軒5万円で貸し出されており、5年ほど空き店舗であったよう。
内見すると、古びて、蜘蛛の巣がはり、暗く湿った雰囲気。
しかし、だからこそ建物に変化をもたらすことができれば、
新しい人の流れをつくれるかもしれないという根拠のない、
でも揺るぎない自信がありました。
うれしいことに、弊社にはお店を出したい方や
出店できる物件を探している方が多く訪れます。
まずは彼らをここに連れて行き、勝手にプレゼンすることを始めます。
5組ほどに魅力を伝えてみたものの、イメージが伝わらず、
出店に至ることはありませんでした。しかし、諦めきれません。
Page 3
「出店者がいないのなら、まずは自分でやってみよう」
どうしても諦めきれず、自分なりに出店計画を練ることを始めます。
普段はクライアントのためにしていることを自分のためにやってみる。
初めての経験でしたが、次第にこの場所でやりたいことと、
以前から抱いていた自分たちの思いとがマッチングしていく感覚がありました。
不動産会社(オーナー)には、2店舗を一緒に借りたいと家賃交渉したところ、
だいぶ安くしていただくことができました。
「築60年の建物に私たちが新しい形態の店舗を出店することで、
ほかの空き店舗にも活力を生み出すことができる」などと、
偉そうにプレゼンしたことを思い出します。
計画し、発言していくことで、仲間ができ、のちにこの場所を任せることになる
シェフ・畠山満との出会いにつながります。
秋田県出身の彼は、当時、東京で自身の店舗を持つ夢を持って修業する日々でした。
「一緒にやろうぜ」と3度目の誘いで承諾。
〈株式会社スパイラル・エー〉として別会社を立ち上げ、
飲食店運営を計画することになります。
手始めに畠山と一緒にスペインに行き、バル巡りと称した視察に出ます。
結果として、第一歩として選んだ業態はスペインバルでした。
名前は〈酒場 カメバル〉。
「使い勝手のよい店」をコンセプトに、バルの持つ特性を生かし、
リーズナブルでお客様同士のコミュニケーションが活発になる場所を目指します。
店舗デザインは、南通亀の町エリアの特性を捉えることから始めました。
ここは、秋田市街の飲食店集積エリアである駅前地区や川反地区とは違う、
昔から地域に親しまれていた特色ある飲食店が点在しているエリア。
この店舗単体として考えるのではなく、〈酒場カメバル〉を拠点に、
ハシゴしていただくことを想定して設計します。
また、共有地として外に開いた縁側のような場所を設けることで、
灯りや笑い声がエリアににじみ出す工夫をしています。
小路の持つ閉鎖的な雰囲気を逆手に取り、お客様にとっては隠れた場所にある
“自分だけの居場所”に感じられるような空間づくりを心がけました。
坪数は5坪と5坪をつないだ10坪の小さな物件です。
ふたつの店舗を隔てていた壁を外し、残る柱を避けるようにして
1階は10席のカウンター席、2階は16席のテーブル席の店舗ができました。
Page 4
2013年9月14日、グランドオープンを迎えた〈酒場 カメバル〉は、
特に告知はしませんでしたが初日から話題を呼び、多くの方にお越しいただきました。
2年ほどは予約なしで入ることができないほどの盛況ぶり。
1階のカウンター席では立ち席ができ、訪れるお客様はそこでの出会いや、
発見を求めていらっしゃるように見受けられます。
まさに描いていた共有地ができたことに、
ひとまずほっと胸をなでおろしたことを覚えています。
カメバルをつくったことで、私は酒場の役割を理解することになります。
酒場は自らの夢やスキルを語り、まちのポテンシャルや期待について
熱く語る場所となりました。この場所を媒介することで、
まちのなかに多くのスキルや情報を投入していくことが可能になるかもしれないという、
細い希望の光が見え始めました。
建物は、地域の方々にとっては、もともとその場所に長年あった風景の一部であり、
景色であり、そこには何かしらの思い出があったりするものです。
リノベーション事業とは、建物の変化に対しての不安や期待感などを含めて、
地域の人たちに興味を持っていただける事業なのだと
カメバルを始めたことであらためて気づくことができました。
あるものを生かし、エリアに必要なコンテンツを小規模の事業で展開していく。
そんなリノベーションとしての第一歩、“まちの共有地づくり”がここから始まりました。
からの記事と詳細 ( 秋田市〈酒場 カメバル〉“まちの共有地づくり”の始まり。暗い路地に灯りと ... - コロカル )
https://ift.tt/oISC4XN
No comments:
Post a Comment