ポルトガル1部のボアヴィスタFCに期限付き移籍することが決まった渡井理己。静岡学園高校から徳島に加入してプロ生活をスタートし、4年半を過ごした。その在籍期間に他のJクラブからも複数のオファーはあった。だが、徳島に在籍を続け、自身の、クラブの夢を追った。『徳島からの海外挑戦』。渡井の新たな旅が始まる。
聞き手/柏原敏 取材日/7月12日
――急と言えば急ですが、過去数年の想いや移籍することなく在籍を続けた背景も考えれば遂に訪れたチャンスで自然な流れにも感じます。
選手である以上、より高いレベルで勝負したいという想いは常に持っています。徳島で本当にいろんな経験をさせてもらって、自分の想いはより明確になっていきました。4年半お世話になった徳島から世界へ挑戦することがすごく重要なことであって、より大きなことへつながっていくと自分自身で感じています。
なので、この決断に対して迷いというものは正直にそれほど無かったです。もちろんチーム状況として難しい部分はあり、昨年降格してしまってJ1復帰が目標で、そのために自分の力を活かしていきたいという想いも当然ありました。でも、選手としてこういうチャンスが舞い降りてくることはそうそう無いことでもあると思っています。海外のクラブが日本の2部リーグから「自分を欲しい」と思ってくれたことにも驚きましたが、実際にお話をいただいてチャレンジしたいという想いは強くなりました。
――毎年の契約更新時、強化部と未来についても話してきたと思います。この4年半、シーズン途中にもオフ期間にもいろんなオファーはあったと把握しています。どんな話をしてきましたか?
ありがたいことに自分が加入してから(20年には)J1昇格を経験させてもらいましたし、(19年には)プレーオフにも出場するなど、いろんな経験をさせてもらいました。たくさんチャンスをもらいました。たくさん成長させてもらいました。実際に他クラブからオファーをいただいたこともあります。でも、(強化本部長の)岡田さんも(強化部長の)谷池さんも自分の海外挑戦の想いを知ってもらっていましたし、自分のことを理解してくれていました。契約更新時には強化部の方々からも海外へ挑戦するために徳島で成長して欲しいと言われていましたし、徳島から海外へチャレンジして欲しいという想いも感じていました。
――ボアヴィスタFCからの打診は、いつ頃あったのですか?
話があったのはここ2週間くらいです。「そういう話が来そうだ」と聞いたときの正直な感想としては、現実的に思えていない部分が大きかったです。半信半疑でした。でも、本当に話が来たのを聞いて、この2週間でいろいろと考えました。
――チームメイトには相談しましたか?
何人かに相談して、ビックリしていたと思います。でも、以前から「海外で勝負したい」という想いを話す機会もあったので、そのことを知っているチームメイトからは「良かったな」という反応の方が多かったです。
――プロ初年度にデンマーク1部のベイレBKに練習参加した経験も影響を与えていますか?
海外でプレーしてみて、何もかも一人で解決しなければいけなかったことは正直言って不便さを感じました。でも、そのときに自分が目指している海外挑戦という場所がこういうことなんだなとも実感できました。短い期間でしたが人としても成長できたと思います。サッカー以外の部分で大きな影響を受けました。
――「クラブ価値を高めること」と「単年でのJ1復帰という成果を挙げること」。クラブは2つの道を同時進行しなければいけないものだと思います。岸田一宏社長は難しい判断を強いられたと思いますが、社長とはどんな話をしましたか?
チームの成績がなかなか出ていない中でのオファーであることはわかっていましたが、社長には加入当初から持っていた海外挑戦の想い、悩んだこと、考えたことをあらためて伝えさせてもらいました。
社長は僕とは違う目線で考えなければいけないことも多いと思います。チームのことを最優先に考えられていると思いますが、僕個人のことも尊重しながら話をしてくれました。「送り出したい」という想いもいただきましたし、「行って欲しくない」という想いもいただきました。いろんな想いを伝えていただきましたが、自分の中では「ここで勝負すべき」と少しずつ挑戦の想いが強くなっていきました。
――ダニエルポヤトス監督とはどんな話をしましたか?
話が来たことに対しては、本当に嬉しいと伝えてくれました。でも、大前提としてダニはチームのことを何よりも優先して考えなければいけない立場です。行って欲しくないという想いもわかっています。それでも、そういう気持ちを出さずというか、僕自身の選択を尊重してくれて、僕自身が評価されたことを喜んでくれました。
――ポルトガル1部のボアヴィスタFC。どんなサッカーをすると認識していますか?
自分はそんなにフィジカルの強い選手ではありませんが、ポルトガルは足もとの技術も大切にする国だと思っていますし、そういうチームへ行くとも思っています。自分みたいなタイプの選手を獲ってくれるということは、他選手にない部分を期待してもらっていると思っています。
――Google Mapで歩いてみましたが、いい街ですね。
ポルトという街にあって、すごく綺麗な場所だと聞いています。最初はホテル暮らしですが、その後は部屋を探して一人暮らしになります。
――当面は苦労も多そうですね。
一番は言葉が全然違います。これまで英語の勉強はしてきましたけど、ポルトガル語なので。通訳もいません。でも、なんとかしなければいけない状況になったら、なんとかできると思っています! そんなに不安はありません。何とかなるだろうと思っています。
――この4年半、最も記憶に残っていることは何ですか?
一番は19年にプレーオフで湘南に負けたことです。19年は初めて試合に出場させてもらった年でしたし、自分にとっては順風満帆に過ごせていたシーズンだったとも思います。でも、最後の最後に湘南と対戦して、(J1参入プレーオフ決定戦で)徳島は引き分けでも負けと同でした(1△1の同点ながらレギュレーションで敗退)。すごく厳しい条件でしたけど、その試合に懸ける想いはチーム全員が持っていましたし、サポーターの皆さんのJ1昇格にかける想いも感じていました。試合が終わったときの喪失感というか、あのときは何も考えられませんでした。でも、あの経験があったからこそ徳島でJ1昇格を目指したいという想いが強くなった試合でしたし、同時にいいことばかりが起きるわけではないという風にも感じさせられた試合でした。なので振り返ると一番思い出に残っています。
――19年の第6節・新潟戦(1○0)でJリーグ初出場、第18節・横浜FC戦(2○1)でJリーグ初得点。このインタビューにあたり、当時の新潟戦や横浜FC戦で渡井選手が何を言っていたのか音声データを引っ張り出してあらためて聞いてみました。試合後にゴール裏で挨拶をしたり、サポーターと初めて確かなつながりを持てたシーズンだったのだろうなと感じました。
僕はどんなことを言っていましたか?
――新潟戦は「初めてサポーターの皆さんの前で挨拶をしましたが、それまでは出場した選手が挨拶をする場面を外から観ていてうらやましいと思っていました。でも、今日は初めて僕が挨拶をさせてもらいました。出場した限りは責任を持ってプレーをしなければいけないとあらためて感じました」と言っていました。横浜FC戦の初得点は「最高です!」の一言しかなかったです(笑)。同試合でサポーターに挨拶したことは「“ありがとうございました”というお礼、“J1昇格頑張りましょう”ということ、“やっと自分も前に進めた感じがします”って伝えられました」と言っていました。
そういうことを僕は言っていたんですね。4年半、同じチームに在籍していることは選手として長い方だと思います。その間に、ここまで大きくなれたり、成長できたというのは、やっぱりたくさんの方々との出会いや関わりが大きかったです。自分が高校を卒業して加入したときは、何もわからず、何もできない子どもだっと思います。本当に自分が思っている以上のたくさんのことを皆さんからいただきました。自分がわからないこと、感じられていなかったことを、皆さんがチームに与えてくれていることをいまになって余計に感じます。本当にありがたいことだと感謝しています。この先も選手として、人間として、大きく成長する姿を徳島の皆さんに届けられるようになりたいです。そして、自分も含めて、いろんな選手とともに今後も徳島を盛り上げられるようになりたいです。
――相手方の契約タイミングもあって実現できませんでしたが、前節・横浜FC戦(1△1)でサポーターに直接挨拶できる場を設けられるようにフロントが善処していたのを見聞きしました。
残念でした。先ほどもお話したように高校を卒業して、何もわからない所からたくさんのことを教えていただきました。その感謝を伝えられる場があれば最高でした。直接伝えることはできませんでしたが、皆さんにそういった感謝の想いを持っていることを忘れないで欲しいです。
――挨拶できていないチームメイトもいると思います。この場で伝えるとすれば何を伝えたいですか?
本当にいろんな選手と関わらせていただいて、どの選手にも感謝の想いを伝えたいです。自分の性格上、人前に出たり、率先して何かをすることは苦手です。でも、今年はそういう役割も与えてもらいました。それをイジられながらでしたけど(笑)、みんなも一緒になってついてきてくれたと感じています。今年だけのことだけではありませんが、サポーターの皆さん同様に、チームメイトからもいろんなことを教えてもらいました。プロサッカー選手とはどういうものなのかとか、深い話もたくさんさせてもらってきました。良い報告ができるようにしたいです。
――最後に、海外挑戦の先にある夢を聞かせてください。
ここからが勝負です。行ってからステップアップしなければいけないと思っています。自分が代表に入るような立場になることができれば“徳島から海外へ”ということがより大きなものになります。代表を目指さなければいけないと思っていますし、代表を目指すためにもステップアップを続けなければいけないと思っています。
――チャンピオンズリーグに出て欲しい!
チャンピオンズリーグか・・・、いいっすねぇ・・・。すごい話ですね。現実っぽくないです。
――現実っぽくないことは既に起きました。未来は誰にもわかりません。
そうですね!
からの記事と詳細 ( 渡井理己、始まりのインタビュー。 : ヴォルティススタジアム - タグマ! )
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