年末をもって活動休止する嵐の大野智(40)櫻井翔(38)相葉雅紀(38)二宮和也(37)松本潤(37)がこのほど、日刊スポーツなどの取材に応じた。コロナ禍で実現できなかったイベントの中には、米国でのコンサートも含まれていた。米カリフォルニア州で生まれ、昨年亡くなったジャニー喜多川氏(享年87)への思いもあらためて語った。
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-コロナ禍がなければ、2020年はどのような予定だったのか
櫻井 まず北京・鳥の巣(国家体育場)でやろうとしていて、(日本の)国立競技場、東京オリンピックの(スペシャル)ナビゲーター。そこからアメリカでの公演、そして日本に帰ってきてツアー。そして12月31日のライブをやるっていうのは、全体像ではありました。
-たくさんのことが実現できなかった
櫻井 僕らだけではないし、世界中がそうですからね。
-アメリカへの特別な思いも
松本 ありましたね。やっぱり、先代の社長であるジャニー(喜多川氏)が、アメリカでエンターテインメントを見て育って、それを日本に持ちこんだ、というのがジャニーズのはじまりなので。やっぱりなんかこう、自分たちがSNSだったり、デジタル配信をやり始めたことの、1つの目標というか。よりたくさんの人に音楽を聴いてもらうのが目的ですけど、1つ目標として旗を立てるんだったらアメリカでライブやりたい、っていうのは目標でしたね。
-具体的には
松本 どういう形になるのか分からない状態で、手探りで始めて。「Turning Up」のミュージックビデオで最後、(米カリフォルニア州にある)ザ・フォーラムっていう建物の前で踊っているんですけど、その会場でライブをやるっていうのが、旗の最終のポイントでした。だからあの前でわざわざ踊るということをやっていて。それをアメリカでできて、自分たちがつかめたらいいよね、それを1年で自分たちが形にできるかどうか、っていうチャレンジをやる予定でした。
-今あらためてジャニー氏に対しての思いは
相葉 感謝しかないですよね。この5人をくっつけてくれたのもジャニーさんだし。新しくなった国立競技場で、嵐で、配信っていう形ではあったけどライブできたよ、っていうのは報告したいですよね。
大野 グループの前から、ジャニーズJr.の時からそうだけど、やっぱりもともとはジャニーさんがいたからジャニーズ事務所に入れたし、グループを組めたっていうのも、始まりはやっぱり全てあの人だから。ここまで21年やって来られたのも、いろいろ考えると、やっぱりジャニーさんだなって思うし。亡くなってしまったけど、僕らもその間、コロナではあったけど、いろいろできることはやってきたから。報告っていうか、見ていてくれているだろうな、って意識でいますね。
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