学校現場だからこそ、気付いた「違和感」だった。
2019年春ごろ、宇都宮市内の小学1年生の教室。年相応にはしゃぐ子どもたちの中で、能面のように無表情な女子児童のことが気にかかった。
それが県スクールソーシャルワーカー(SSW)の川田奈美(かわたなみ)さん(43)と、現在は子どもの居場所「月の家」に通う舞(まい)さん(11)=仮名=の出会い。川田さんは当時、非常勤職員として同校に勤務し、以来舞さんを5年間にわたり支援していく。
川田さんが先生らに話を聞くと、舞さんは給食費の滞納など懸案はあったが家庭からSOSはない。本人も母親に抱きかかえられながら登校はしていた。学校側も、家庭の様子をつかみかねている様子だった。
「『何かある』とは感じていた」川田さん。舞さんが2年生になると登校回数が減ってきた。出会った当初に抱いた漠然とした違和感が、不安に変わった。
◇ ◇
学校の許可を得て、川田さんが舞さんの自宅の訪問を始めたのはそれから間もなく。業務時間外に「ボランティアとして」足しげく通うようになった。
訪問を重ねていくと、自宅の荒れ具合から「養育力の低さ」が垣間見えた。室内にごみ箱がなく、200本近いペットボトルが散乱していた。洗濯物は畳まれずに放置してある。敷きっぱなしの布団以外に足の踏み場がなかった。
母親(45)のパートと、障害のある6歳年上の父親の年金で一定の収入はあったが、やりくりがうまくいかず家計は逼迫(ひっぱく)。食事はコンビニ弁当が常で、舞さんは「手作りのご飯が食べたい」ともらしていた。
見方によってはネグレクト(育児放棄)かもしれない。でも川田さんの目には、両親が常に舞さんを気にかけている様子も映っていた。
苦しい家計を顧みず学用品や衣服はもちろん、舞さんの欲しがる小物類などは大抵買いそろえていた。「行っても楽しくない」と学校へ行き渋る舞さんに無理強いすることもなかった。
「愛情はかけている。でも、かけ方に違和感がある」。川田さんは、まず一家と伴走して子育て環境を少しずつ整えようと考えた。
◇ ◇
支援は握ったばかりの温かいおにぎりを自宅に届け、一緒に部屋を掃除することから始めた。民生委員とも連携し、舞さんの登校にも付き添った。
家族との関わりが深まると、川田さんと母親は「ママ友のよう」になり、母親が悩みを川田さんに打ち明けるようにもなってきた。
家事などの物事を順序立てて考えることが苦手な母親。長い間、「できないのは私のせい」と途方に暮れていた。
川田さんは、母親の「生きづらさ」に寄り添うことが、舞さんのためにも必要だと感じていた。
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