「浪速のロッキー」と呼ばれたボクサー時代の栄光と挫折、映画の世界でつかんだ復活の道筋、そして今――。かつてプロボクサーとして人々を熱狂させ、今は俳優、タレントとして活躍する赤井英和さんの軌跡をたどる映画ができた。タイトルは「AKAI」(9月9日から、東京・新宿ピカデリーほか全国公開)。編集・監督は赤井英五郎さん。アメリカでの大学生時代に映像を学ぶ一方ボクシングに打ち込み、昨年プロボクサーとしてデビューした、英和さんの長男だ。息子はなぜ父を主人公にした映画を作ったのか。父は息子の作品をどう見たか。それぞれに聞いた。(編集委員 恩田泰子)
「ボクサー時代のことは、ずーっと忘れてたんですけども、もう何十年ぶりに見まして、自分が赤井英和ファンになりそうですわ」。これは、初めて「AKAI」を見た直後の英和さんの言葉。「今のボクシング見てましても、あんな戦いっぷりするやついてへんし、インタビューでも本当にもう、あんなおかしなこと言うやつもいてへんやろな、と思うようなのがあったりとかしますんで。まあ、捨て身ですもんね。世界戦でも、もう飛び込んでいってる」。実際、この映画を見て、その姿に引きつけられない人がどれだけいるだろう。
英和さんは、1959年、大阪市西成区生まれ。浪速高校入学とともにボクシングを始め、近畿大に進学。モスクワ五輪の代表候補になるが、日本のボイコットにより断念。在学中にプロに転向し、80年9月のデビュー戦から12連続KO勝ちの日本タイ記録を樹立した。引退するまでの約5年間の戦績は21戦19勝(16KO)2敗。「どついて、どついて、どつきまくる」スタイル。「浪速のロッキー」と呼ばれ、愛された。85年2月の試合で強烈なパンチをくらいKO負けし、急性硬膜下血腫、脳挫傷と診断され生死の境をさまよい、選手生命を閉じた。89年、自らの自伝を基にした映画「どついたるねん」に主演。再び前に進み始める。そして――。
映画「AKAI」の序盤、2020年の風景が映し出される。コロナ禍で「俳優・タレント、赤井英和」の仕事がキャンセルになり、英和さんは自宅にいた。自分ではどうにもできない状況を、どう乗り越えていくか。映画は時を遡り、「ボクサー、赤井秀和」の軌跡を映しだしていく。世界王者に挑戦した「ブルース・カリー戦」、引退の引き金となった「大和田正春戦」、かつての貴重な取材映像、そして「どついたるねん」の数々の名シーン……。
英和さんは言う。「最後の大和田戦でもう死にかけになって、復帰もできずに最悪やな、と。仕事であって、十何年間続けてきたボクシングが終わってしまって、何もなくなったかな、と思ったんですけど、今、振り返って考えてみると、あの試合がなかったら――。それは当然、何年かしたら引退はしたんでしょうが、今の私はなかったと思うので、人生、何がきっかけになるか、わからへんな、というようなところも映画をご覧になって感じていただけたらな、と思います」
英五郎さんは1994年生まれで、東京都世田谷区出身。小学6年の時にハワイに留学。中学、高校、大学をアメリカで過ごし、カリフォルニア州のウィッティア大学時代に映像制作を学ぶ。スポーツは、9歳でラグビー、高校時代はアメリカンフットボール、そして大学在学中の20歳の時に「自分の可能性を確かめるため」ボクシングを始めた。2018年に全日本社会人選手権ミドル級で優勝、東京オリンピック2020を目指すが、19年11月、全日本ボクシング選手権2回戦で敗退し、出場権を逃す。21年9月11日にプロデビューを果たした。
「AKAI」を作ることにしたのは、20年春。「オリンピックの選考会で負けて、プロに転向しようと思ったら、コロナの時代になって、そもそもジムが人を受け入れていないし、試合もまったくない。ジムが解禁されるまで無職状態だから、就職しないといけないなと思って就職活動しても、それこそ人材を求めていない時期だから、受からない。本当に何をしたらいいんだろうと思っていて――」。この先、どうなるかわからないパンデミック下で、大切な人たちへの感謝の思いを形にして残したい、それが制作の最初のきっかけ。「で、見てくれた人が元気になってくれれば、これを見ることで暗い空気をふっとばせれば、と思って作りました」
英和さんの俳優としてのデビュー作にして出世作「どついたるねん」について、英五郎さんは「ドキュメンタリーだと思っている」と言う。もちろん英和さんは演技をしているのだが――。「作られたセット、決まったセリフとかがあっても、父はもうがむしゃらで、もらった仕事をこなすのに必死で、もう本当にチャンスだと思ったんですよね。開頭手術をして現役を引退してから3年間、酒飲んでふらふらして、もうどうしたらいいかわからなかった。それって、このコロナの状況って同じだと思うんですよね。何もない時間っていうのが一番しんどい。その中でいろいろタイミングが合って、お話をもらって、とにかく突っ走って頑張って今がある」
英五郎さんは、父がリングの上で戦った時間を計算した。「全部足しても、3時間半ない」という。「人生をマラソンみたいに考えたら、そこで止まって『はい、やめる』っていうのも、ゆっくりでもいいからちょっとずつ前に進むのも、自分次第。だから、ゆっくりでもいいから前向いて歩いてみようよ、と。あせるのと頑張るのとは違うんで、頑張ってればあせらなくてもなるようになると僕は思っています」
制作にあたっては「どついたるねん」の阪本順治監督が全面協力。同作の名シーンと、英和さんの現役時代の試合・取材映像、さらに、現在の映像が溶け合って一本の熱い映画になっている。
英五郎さんが最初に編集したのは、カリー戦と大和田戦。「それが第一のクライマックス、第二のクライマックスっていうのは決まっていて、そこを中心に足していったんです」。素材は、祖母が保管していたものをもとにした。「父が出たものをまとめていてくれて、新聞記事とかも全部あるんですよ」
その上で試合の映像の権利を持つ朝日放送から許諾を得た。「僕は、当時の父親がしゃべっている映像をあまり見たことがなかったので、もし、仮に企画が通って、アーカイブ(資料室)に何かあれば、ぜひ見せていただきたいとお願いした」。そして見た映像の中で特に心に刺さったのは、トレーナーのエディ・タウンゼントさんの言葉。「これは入れなきゃ、と」。映画の冒頭でもエディさんの声が響く。
もともとは、短編ドキュメンタリーシリーズの形にして、大手動画配信サービスにアプローチしたいと考えていた。その理由の一つとして、コロナ禍で映画館に行けなくても誰もが見られるようにしたいということがあった。ただ、状況が変わり、最終的には一本の作品として映画館で公開されることになった。「劇場で上映されるのは、本当にうれしい。主役は父ですけれど、準主役はオーディエンスだと僕は思っているので。当時の映像でも、観客の表情だとか、それこそ祖父や祖母、エディさんにフォーカスしたのも、『ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン』じゃないけど、やっぱり人は1人じゃ生きていけないし、1人の人がみんなを支えてもいるから。それが体感できて、当時の観客の一部になれるような感動を覚えるのには劇場が一番いいかな、と」
ただ、公開後は、世界規模の動画配信サービスにもアプローチしたいという。留学時代、父が俳優だと言うと、友人や先生は作品を見たいと言ってくれたが、字幕つきのソフトがなかった。「僕が思う、お父さんのベスト作品は『どついたるねん』だから、どうにかしてこれをみんなが見られるような環境に乗っけて、英語の字幕つきで見てもらいたいと思っていたんです」。「AKAI」が世界配信されて、それをきっかけに「どついたるねん」も広く世界で見られるような環境が整えば。そう願っているという。
英五郎さんがボクシングを始めたのは、「自分の可能性を確かめるため」だったという。「やらなきゃ何もわからない。みんなそうだと思うんです。何が好きとか、何が得意とか、何が自分に合っているかって、みんなわからない。とにかく試さないと。これをやったからって、これしかやっちゃいけないってことはないし」
自分の可能性について考えるようになったのは、高校時代の友人らの影響も大きかったという。「10代半ばのころには、将来、何者になりたいかなんて、あまり考えないじゃないですか。でも、アメリカの学校は何のために大学に行くのかまで考えている人が多い。自分も、今何ができるかとか、何をしたいかとか、ちょっと向き合ってみようという時間があったんです」
ただ、実際にボクシングをやり始めると「大ごと」になった。「浪速のロッキー」の息子だったからだ。「始めていきなり取材されたり、本当、どうなっちゃうんだろうって」。最初のうちは「周りに応えなきゃいけないって、楽しいから続けているというよりは、勝ってほっとするというのがほとんどでしたね」。
ただ、「自分で選んだ道」だ。「もともと生半可な気持ちで始めようと思ってなかったですし、やめるのも自分がちゃんと納得した形でないとやめられないと思っていた」。そして続けていくうちに「ボクシングという競技が好きになっていったし、それで助けてくれた人だとかお世話になった先生、先輩、後輩と、本当にかけがえのないつながりができた。やっていく中で、ボクシングに対しての芯が太くなっていった気がします」。
大学時代は映像も学んだ。「エンジニアを専攻していたんですが、それは、数学が得意なほうではあったので、なんか流れで。じゃ、自分が好きなものってなんだろうなって思った時に、映画って自分にとって大きかったなって改めて思って」。少年時代に留学をしたいと思ったのも、映画「ロード・オブ・ザ・リング」を見て、映画の中で話している言葉を知れば、その世界に入れるのではないかと、英語に興味を持ったことがきっかけだった。ただ、「今は、ボクシングにプライオリティーをおいています」。映画は、「今回作ったぐらいのパッションが芽生えれば、また作りたいと思っています」。
英和さんは、英五郎さんがボクサーになったことをどう思っているのだろうか。「やり出したって言うた時は、もう、うれしかったですね」。不安はなかったという。「私自身が死ぬか生きるかという大けがをしたようなスポーツをまた子供がするということが……ま、私はそんな大けがをしましたが、まったくそんな心配はしませんでした。誰に似たのか、私と違って本当にまじめな男ですからね」と目を細める。「私の若い時は練習さぼったりすることがあったんですけれど、そういうことはなく、こつこつこつこつまじめに努力するタイプなんで」
ボクサーとしての英五郎さんの魅力を尋ねると、こんな答えが返ってきた。「ボクシングというスポーツは、ストレート、フック、アッパー、この三つのパンチをいろいろ組み合わせてするんですけれど、実はパンチというのは手で打つんじゃないんですよ。足でステップインしてバーンといく。(相手のパンチを)よけるのも、サイドステップ、バックステップ、足でよけるのが一番確実。だから足がすごく大事になってくるんですけど、英五郎は、小さい時からラグビー、アメリカンフットボールをやってきて、走りまくっていて、足はすごく強いから、そういう意味ではパンチが強い、ということはあると思いますね」
今年7月、英五郎さんはプロ初勝利を挙げた。英和さんはリングサイドで見届けた。「自分が勝った時よりも何百倍もうれしいもんですよね」
「AKAI」の軸となる二つの試合のシーンでは、シルベスター・スタローンさんが主演するボクシング映画「ロッキー」シリーズの音楽が使われている。「もともとロッキーの曲ありきで編集していて、それがなかったら、まったくイメージが変わってしまう」(英五郎さん)。「ダメもと」で配給会社経由で作曲したビル・コンティさんのエージェントにアプローチ。「難しい」と言われていたが、願いがかなった。「どういう経緯でOKしてくださったんですかと聞いたら、『わからないです、奇跡です』と。だから、シルベスター・スタローンに会える日も来るだろうなって思っているし、そこからの自分の夢がある」(同)
英五郎さんは、「ロッキー」シリーズと、その続編で、ロッキーの盟友であるアポロ・クリードの息子アドニスの戦いを描く「クリード」シリーズに、「運命的」なつながりを感じている。後者の第1作「クリード チャンプを継ぐ男」が発表されたのは、英五郎さんがアマチュアデビューした年。無風の人生を捨て、ボクシングの道に入ったアドニスに共振するものも感じた。そして、「僕、いずれ、このクリードと劇場で戦う日が来るなって勝手に想像していたんです。アポロ・クリードの遺志を継いだアドニス・クリードと、『浪速のロッキー』を父に持つ僕が」。
その戦いを実現させるのが「夢」。スタローンさんに会ったら、まず、「浪速のロッキー」という父の愛称について感謝を伝え、その上で、「クリードとの対戦」を提案したいという。既に公開された「クリード」シリーズ第1、2作の対戦相手が本物のボクサーであること考えれば、まんざら夢物語ではない。「だから、この『AKAI』はシルベスター・スタローンに向けたラブレターみたいなところもあります」
むろん、ハリウッドスターになりたいわけではない。「弟(英佳さん)はアメリカで役者として頑張っているんです。で、父親も役者として頑張っている」。自分が世界を広げていけば、もっと縁も可能性も広がっていくのではないかと、英五郎さんは思っている。「自分が、こういうきっかけをいただいたから、どんどん、なにか面白いことができればいいと思っています」
思いの詰まった熱い映画。英和さんは言う。「私の実際のファイトを見ていない人たちにも、たくさん見ていただきたいですし、また、見てくれてた人たちも、『あ、こんなやったな』というのを懐かしんでくれるようになるかと思います。僕自身が見てても、もう心ワクワク、『ドキがムネムネ』しますからね。なんか力になるというか、元気が出ると思いますので、今こそ見る映画、見ていただく映画であると思います」。言葉の端々からにじむ誇り。それは、自分自身だけでなく「監督」に対するものでもある。
映画「AKAI」の公開を記念して、赤井英和さん主演、阪本順治監督による「どついたるねん」(1989年公開)、「王手」(91年公開)の「復活上映」が、東京・池袋の新文芸坐で7日に行われる。「どついたるねん」の午後7時35分からの回の上映後にはスペシャルトークショー(赤井英和さん、阪本監督が登壇予定)が予定されている。
大阪・シネマート心斎橋でも、18、19日に『どついたるねん』の「復活上映」が予定されている。
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