この夏、群馬県伊勢崎市という町の名を見たり聞いたりした人は多いかもしれない。2022年6月25日、この町の最高気温が40.2℃を記録し、「6月としては観測史上初の40℃台」と話題になったからだ。同市は6月29日にも40度を記録しており、いまや日本一暑い町のひとつ。市民はまったくうれしくない評判に右往左往している。
かくいう筆者はこの伊勢崎の生まれである。ヨメにも「へへーん暑さ日本一だってー」と笑われて非常に悔しい。くっそー伊勢崎には酷暑だけじゃなくて、焼きまんじゅうやらもんじゃ焼きやらいろいろ自慢したいものがあるんだ、といいたいのだが、ベストカーWebだけにここはひとつ渾身のクルマネタを紹介したい。
文/ベストカーWeb編集部、写真/SUBARU、角田賀津三、ベストカーWeb編集部
【画像ギャラリー】名車スバル360だってこの地から……伊勢崎が生んだ名車とスバル遺産の全貌(23枚)スバル360はこの地で生まれた!
伊勢崎のほぼ中心部にある平和町。広瀬川(仙台のじゃないよ)という1級河川のほとりに、ややこじんまりとしたショッピングモールがある。スーパーや薬局、書店が入った、まあ地方都市にはよく見かける施設なのだが、実はここ、富士重工業(現SUBARU、以下スバル)の伊勢崎製作所第二工場の跡地なのだ。
スバルと聞けば群馬県太田市を思い浮かべる人が多いと思う。確かに太田は、スバルの前身である中島飛行機興隆の地であるのだが、その中島飛行機は、日本がキナ臭くなり始めた1930年代から国の軍用機生産の命を受けて生産拠点拡充を図り、各地に生産拠点を作った。その一つが1943年に事業を開始した、この伊勢崎製作所第二工場なのだ。
実をいうとこの工場は当時新築されたのではなく、明治45年(1912年)に建てられた紡績工場「上毛撚糸」の土地と建屋を買い取ったもの。工場はノコギリ型の屋根が連続する美しいレンガ造りで、中島飛行機を経て富士産業、そして富士重工の時代となっても工場として使い続けられ、付近の住民にとってはちょっとしたランドマークだった。
そしてここが大事! 伊勢崎第二工場が決定的に価値を持つエピソードがあるのだ。それは1958年に登場した国民車の先駆け「スバル360」がこの地で生まれたこと。スバル360の開発経緯についてはとてもここでは書ききれないが、エンジン設計を東京・三鷹で行ういっぽう、車体の設計については伊勢崎が拠点となった。伊勢崎チームのリーダーを務めたのが、名エンジニアの百瀬晋六だ。
実は筆者の父は、当時富士重工の新米工員で、360開発の末端に携わっていた。父によればスバル360の車体設計は工場脇にあった家屋を借りて行われたといい(現在は個人住宅)、1956年秋からボディの石膏型をとるための粘土の等倍模型作りに格闘したらしい。スバル360のボディは全身が曲線の塊だが、あの優美なボディパネルを量産する際には、中島飛行機時代から残る腕利きの板金職人が総出で活躍したそうだ。
話を現在に戻そう。前述した平和町のショッピングモール。表通りからはほとんど見えないのだが、駐車場をずんずん奥へ進んでいくと、感動的な風景に出会える。なんとそのスバル360を作った工場のレンガ壁が、遺構として残されているのだ。レンガは長短のレンガを繰り返し積んでいくイギリス積みで、重厚な鉄の扉がより迫力を増す。脇には銘板が建っていて、ここがスバル360の生まれ故郷であることをひっそりと伝えている。壁前にはベンチとテーブルがあるから、スバルの長い歴史を思ってしばし感慨に浸ることも可能だ(夏は暑いが!)。
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