Pages

Saturday, August 21, 2021

【甲子園】浦和学院・森監督「礼に始まり礼に終わる」あいさつ指導は父原点 - ニッカンスポーツ

<全国高校野球選手権:日大山形4-3浦和学院>◇21日◇2回戦

浦和学院(埼玉)を率いた森士監督(57)の夏は、初戦敗退で幕を閉じた。「天国に行ったことはないけど、天国で野球をやっているような気分になる場所」で最後の指揮。開会式の12日後に登場し、1回に2点を先制しながら逆転負け。「甲子園で1勝するという厳しさを思い知らされたような試合でした」と振り返った。

1時間59分の試合に、30年の集大成を詰め込んだ。9回2死満塁、「第2監督」と信頼を置く吉田瑞が遊ゴロに倒れ、試合終了。泣き崩れる主将に「負けても、堂々と前を向け」と声をかけ、背中をたたいた。

あと1点が届かなかった。「人生は一生をかけたドラマで、野球というスポーツはそれを2時間に凝縮したドラマだ」。森監督が何度も、教え子に伝えてきた言葉だ。人生が映るからこそ、人間形成に力を注いだ。県大会の試合前には、コーチに就任した89年に64歳で亡くなった父克さんの墓参りを欠かさない。克さんは剣道家だった。「礼に始まり礼に終わる、という魂は俺に宿っている」。徹底したあいさつの指導は父の教えが原点だ。

27歳の若さでチームを任されてから30回目の夏。「常に120%」「全員野球」の指導方針は一貫する。16年から早大大学院で学び修士を取得。今年から元巨人2軍監督の内田順三氏(73)、元楽天2軍監督の松井優典氏(71)を外部コーチとして招き、時代とともに自身も学んできた。

今年春の県大会で優勝した直後、1人で学校のグラウンドまでの約10キロを走った。その姿を、選手に見せたかった。試合を終えても、次に向かう1歩が大事。「生きた見本として、見せておかないといけないものがある」。この日は帽子を取り、深々と一礼してグラウンドを去った。

監督の後任には、長男で部長の大氏(30)が就任する。積み重ねてきた浦学の歴史は、これからもつむがれていく。【保坂恭子】

◆森士(もり・おさむ)1964年(昭39)6月23日、さいたま市生まれ。上尾、東洋大では投手。87年に浦和学院に赴任。投手コーチを経て、91年8月に27歳で監督就任。甲子園春夏通算22度出場し、計49試合で28勝21敗。13年にセンバツ初優勝。16年から早大大学院に入学し、修士を取得。今年4月から副校長に就任。「NPO法人ファイアーレッズメディカルスポーツクラブ」の理事長も務める。家族は夫人と2男。

▽DeNA木塚投手コーチ(96年3月卒の浦和学院OB)「投手として未熟だった自分に一から教えてくれた最大の恩師だと思っています。言葉には表せないくらい感謝しているとともに、野球人として尊敬しています。1試合でも多くユニホーム姿を見たかったのが本音ですが、まずはゆっくり、お身体を休めていただければと思います」

▽吉田瑞樹捕手(3年) (試合後に号泣し)自分たちだけではここに立てなかったので、なんとしても勝利で恩返ししたいという気持ちだった。達成できなかったことの申し訳なさと悔しさが入り交じった感じです。

▽吉田匠吾内野手(3年) (先発するも)ふがいない投球で終わってしまった。森先生と一緒に勝ちたかったんですけど、力及ばず申し訳ない気持ちと、今まで育ててくれてありがとうございますと感謝を伝えたい。

▽宮城誇南投手(2年) (リリーフとして登板し)甲子園という夢の舞台で投げられて、瞬間、瞬間がとても楽しかった。この負け、悔しさを忘れずに来年絶対帰ってきて、先輩たちの分まで勝ちたい。

◆しんがり登場校敗退 49代表最後の登場となった浦和学院が初戦敗退(初戦不戦勝の智弁和歌山はまだプレーしていないが記録上は1試合消化済み)。49代表制となった78年以降、組み合わせ抽選時に相手が決まらない「しんがり登場校」はこれで通算11勝31敗1分け

Adblock test (Why?)


からの記事と詳細 ( 【甲子園】浦和学院・森監督「礼に始まり礼に終わる」あいさつ指導は父原点 - ニッカンスポーツ )
https://ift.tt/3kfGMW7

No comments:

Post a Comment