【生田目の言葉】「親孝行の始まりだな、という気持ち」新十両昇進会見全文
日本相撲協会は29日、東京・両国国技館で大相撲名古屋場所(7月14日初日、ドルフィンズアリーナ)の番付編成会議を開き、十両昇進力士3人を発表した。新十両昇進を決め、晴れて関取の座をものにした生田目(なばため、22=二子山、栃木県さくら市出身)が同日、両国国技館内で師匠の二子山親方(元大関雅山)同席の元、記者会見に臨んだ。一問一答を、全て紹介する。
大相撲
―師匠、しこ名は
二子山親方 千秋楽の日に上がったらの場合で一応、2人で話しをしたんですけど、本人、雅がつく1文字をつけたいということでしたけど、今、生田目という本名でずっと上がってきているんで、変えないでいこうと思ってます。下に雅という字も欲しい、と言ったんですけど、変に変えて負けられても嫌なので、そのままにしています。
―いつごろしこ名(の改名)を考えていますか
二子山親方 本人がね、付けたいものがあれば、まあちょっと数場所、十両でしっかり、ちゃんと十両の場所を務められるぐらいになったら考えようかなと思っています。
―昇進おめでとうございます
生田目 ありがとうございます。
―実感はどうですか
生田目 そうですね、まあ少しずつ、はい、わいてきました。
―昇進を知ったのは、どういう形でしたか
生田目 朝起きたらLINEがいっぱいきてて…。
二子山親方 まだその時点で上がってないんだよ(笑い)。
生田目 はい(笑い)、移動中にいっぱいメッセージが来てて。知り合いの方から。自分でもチェックして部屋のみんなと話しながら協会のにも出てまして、はい。
―どなたかに連絡は
生田目 いや、まだ。(会見が)終わってからしようと思ってます。
―入門から4年半、22歳での昇進については
生田目 いや、まあ、そうですね。ちょっと、自分で何年で上がるとか決めてなかったので、まあ、自分の中ではそうですね、早かったかなと思います。アッという間でした。
―どんな4年半でした
生田目 いろいろと考えさせられたというか、はい。プロに入って、やっぱ、体作りとか稽古とか、自分との闘いなので、見つめ直してということを考えさせられた4年でした。
―栃木県出身力士としては貴公俊以来、6年ぶりとなります。それに関してはどうでしょう
生田目 あっ、うれしいですね。地元を盛り上げていきたいなあと思ってます。
―確か矢板高校出身としては初めての関取になります。それに関してはどうでしょうか
生田目 まあなんか、これを見てなんか、自分は高校の時は実績ないですけど、まあ実績なくても関取に上がれるというのをみて、後輩たちがまた大相撲に入ってくれたらうれしいですね。
―ふるさとへの思いをあらためて教えてください
生田目 栃木県で生まれて育ってきているので、栃木県の人みんなに笑顔に出来るように頑張っていきたいです。
―栃木の皆さんからの応援は関取の耳に届いていますか
生田目 ああ、何かはい。電話とかきたりとか。でも、これからもっと実感というか、自分でも感じるようになると思います。
―この1年、膝のケガもありました。先場所は昇進かもしれないという一番で勝ちきることが出来なかったですね。この1年というのは、どういうふうに振り返りますか
生田目 そうですね…、まあ、自分の中では試練だなと思って、自分の試練だなと思って、まあ前向きに頑張りました。
―昇進のきっかけになったのは、どういうことだったでしょう
生田目 昇進のきっかけ…場所中の、場所前とかの師匠をはじめ指導をしっかり聞いて、あとはもう、そうですね…親とかみんな周りからの応援を耳にして稽古とかするようになったりとか、稽古も一日一日、課題を持ってやったりとか、そういうところを変えたのが、きっかけになったのかな、と思います。
―いつぐらいに稽古を変えていったのですか
生田目 そうですね、稽古とか体作りを変えたのは、いつですかね…去年、おととしぐらいですかね。それから一気に体力、体も大きくなって番付も上がって、はい、なんか、はい、こうなりました。
―師匠にもうかがいます。あらためて、おめでとうございます。狼雅関に続いて2人目の関取誕生となりました。気持ちはどうでしょう
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