「雪女」と聞けば「ああ知ってる」と来るのが相場だろう。だが、どこで初めて読んだ?何で見た?となると世代や環境によって大きく異なる。
「雪女」は口頭伝承の再話文学と一般に伝えられてきた。日本に帰化して小泉八雲となった作家、ラフカディオ・ハーン晩年の『怪談』が文学史上の出典として知られる。
だが本書はこの常識に正面から切り込む。その謎解きは本書を読んでのお楽しみ。以下はほんの「さわり」だけ。
京都にある国際日本文化研究センターは「怪異・妖怪伝承データベース」を公開している。試しに「雪女」を検索すれば30件ほどヒットする。信州・白馬岳山中や岩手県の伝承記事が見つかる。
小泉八雲『怪談』英語出版は1904年。和文初訳が10(明治43)年。他方、白馬岳の「伝承」を初めて収録した青木純二『山の伝説』刊行は30(昭和5)年。そこにはハーンが命名したMosakuとMinokichi親子の名が、そのまま「茂作・箕吉」として再登場する! これでは順序が反対ではないか。
「口承」は実際にはハーン原作の引き写し、翻案だった。しかもそこには『怪談』初訳の誤訳まで踏襲されていた。
『山の伝説』は日本民俗学の父、柳田国男の序文を頂く。その柳田の名著『遠野物語』の「語り部」鈴木サツ。その「雪おなご」は岩手・遠野言葉での見事な語りだが、下敷きはハーンを淵源とする松谷みよ子の童話。著者はそこに「戻し交配」を見る。もとより不在の「原型」が民話伝承の過程で精錬され、ハーンのロマン主義的な「雪女」の殻を破って蘇生(そせい)する。
「読み物から語り物」への再生と遡行(そこう)―それは60~80年代の出来事だった。その間には「夕鶴」で著名な木下順二も介在する。54(昭和29)年初演の戯曲「雪女」は、しかし木下の作品集には不再録の「失敗作」。柳田民俗学や名作「夕鶴」創作の背景には小泉八雲との確執や対抗意識が潜み、それは辺見じゅん「十六人谷」へと転生を遂げる。(幻戯書房・3080円)
評・稲賀繁美(京都精華大特任教員)
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