ぎゅうぎゅうの渋谷WWW X。この日バンドは6/27に恵比寿 LIQUIDROOMで追加公演を行なうことをアナウンスしたが、それもそのはず、会場にはキャパシティMAXの観客が集まり異様な空気を醸し出す。とは言え、ただ単にむさ苦しい熱を帯びているわけではない。フロアを占めるのは「静かな」熱気で、いささかひんやりとした緊張感すらも漂う。なぜなら、これはyahyelのライブだから。ただ熱に向かってボルテージを上げていくだけではない、クールネスとパッションを行き来するような複雑なyahyelらしさをすでに観客側が理解し空気として発している。すでに開演前からフロアとステージのフィールがバチンと合っており、こういうライブは大抵が凄いものになる。
篠田ミル(シンセサイザー/ベース)、山田健人(ギター)、大井一彌(ドラム)が現れ、楽器を鳴らす。視界を眩ませるような攻撃的な照明が焚かれ、“Cult”が演奏される。つくづく、奇怪なイントロだ。ウォーミングアップにしては呪術的で粘っこすぎるリズムが叩かれ、圧倒されているところに遅れて池貝峻(ボーカル)がゆっくりと歩いて姿を見せ、そのまま歌いはじめる。雰囲気あるファルセットで、場の空気は一瞬にして掌握された。劇的なスタートだ。
思考する間もなく、音の渦に巻きこんだまま“Karma”へ。少しずつ、少しずつグルーヴが醸成され鍛えられたのちに、“Highway”へ続く。後半のダンサブルな跳ねたビートでは皆がすし詰めになったフロアで身体を揺らし、池貝峻も小刻みに身体を振動させ、頭を振り、四方八方に飛び散るノイズの中で会場はトランシ―なムードに。後ほど山田健人の口から「(代えを)持ってきてないからこれでいくしかないんで」と明かされるのだが、この時点ですでに彼のギターの弦は切れていたようだ。ノイジーなギター音は、今のバンドのサウンドに多彩な表情を加えており、“Highway”の轟音がどれほどの激しさだったかを物語っている。
冒頭で驚いたのは、池貝峻のたたずまいと歌の表現力。ドレッシーなスーツに身を包み、声帯を使い分け高低差と奥行きを自由に行き来しながら歌唱を聴かせる。高く伸びやかな声に合わせては指先が舞い、低く収縮させた声には堕ちていくような身体の使い方が表現される。ダークな曲調と艶めかしい照明の色合いも相まって、70年代末~80年代頭のデカダンス/ゴシックなニューウェーヴバンドを思わせるような淫靡な世界観を作り上げていた。ここまでのムードは、以前のyahyelにはなかったはずだ。ご存知の通り、彼らは映像を駆使し新感覚のメディアアートを創り上げることに長けてきたバンドである。この日はライティングのみというストイックなステージングだったからこそ、生身の身体から発されるエロスが楽曲の神秘性と交差し、強い力を発揮していた。それは、神々しさ/陰鬱さという両極端なパワーが同居する空間、と言い換えてもよいだろう。肉体性に支えられた淫靡なムードで、“The Flare”や“Age”といった過去曲も全く違う形に生まれ変わる。浮遊する音にしっかりとフィジカリティが与えられたような印象で、誤解を恐れずに言うならば、これまでで最もロックバンド然としたyahyelだ。
前半のハイライトは“ID”だろう。イントロが鳴った瞬間フロアからは声があがり、皆がメンバーの一挙手一投足を見守る。ここでは大井一彌の凄まじいドラミングに触れないわけにはいかない。曲の前半、メカニカルな演奏に徹するその“徹し方”にはある種の恐ろしさを感じずにはいられなかった。黙々とリズムを作っていく篠田ミルに負けじと機械的なプレイを演じるこのドラマーは、しかし徐々に高揚していくボーカルやノイズをかき鳴らすギター音にも一切乱されることなくグルーヴを高め続けたのち、終盤の爆発的な音の渦にダイブしていく。ドラミングはここで一気に人間味を破裂させ、エゴをまき散らす。現在のyahyelサウンドの根幹を司るすばらしいプレイ。
“ID”で桃源郷に連れて行かれた観客に対し、バンドは意外にも“Once”をぶつける。これもまたファーストアルバムからの選曲。メロディが前面に立っているナンバーであるがゆえにボーカルの表現力が際立ち、その背後では原曲にないアレンジでより一層ダンサブルに仕立てられたビートが鳴り響く。たっぷりとられたサウンドの隙間に響き渡る深いリバーブが最高に心地良い。次の“Mine”で猛威を振るっていたベース音の鳴りと残響感もそうだが、このあたりは、いわゆるポスト・ダブステップやトラップといった2010年代の音像を先駆的に極めてきた彼らの面目躍如だ。続く“Sheep”や“Slow”、“Eve”といった曲では、そういった2010年代ベースミュージックとしての感覚で90年代~00年代のデジタルなオルタナティブ・ロックをフィルターにかけたような演奏を聴かせた。いわば、ニュー・ノスタルジックなNine Inch NailsやRadioheadのような趣きと言ったらよいだろうか。一つのライブでここまで多面的な顔つきを見せてくるこのバンドに圧倒される。
“Pale”や“Tao”といった過去曲を経て、最後は“Four”と“Love”でライブ本編はクライマックスへ。通常、大抵のライブは終盤にもなれば体感しているうちに音の強度に“慣れて”くるものだが、このライブはそうはいかない。一音一音の厚みが最後まで凄まじく、しかも音それぞれが整理され削ぎ落されているからこそ、皮膚にまで振動が染み渡る。このあたりの処理は、大井一彌はもちろんのこと、出音に対する篠田ミルの冷静なジャッジによるところも大きいのではないか。大きく身体を揺らしながらもサウンドの統率をとっていく彼の姿を見ながら、この奇跡的な四人のバランスに改めて驚いてしまった。
本編が終わり、張り裂けんばかりの手拍子に招かれアンコールへ。この曲を披露しないわけにはいかないだろう――池貝峻の鍵盤の弾き語りによる“kyokou”だ。最後に本曲が控えているからこそ、アルバム『Love&Cults』は救われる内容になっていた。yahyelのピュアさだけをろ過したような柔らかいサウンドに満たされながら、そのまま“Iron”に雪崩れ込み公演は締めくくられた。この日のライブの全てが凝縮されたようなドラマティックな展開にフロアは熱狂。最後まで彼らは私たちの皮膚を音で殴り、感性を叩き割ってくる。
yahyelはこの数年間、空中分解していた。彼らはすれ違い、対立し、音楽を作ることができなかった。数か月前に話を訊いた時、メンバーは「今でも(価値観や考えは)すり合ってない。でも、すり合わないまま一緒にいる方法が見つかった」と語っていた。この日も、MCで「今ではゴハンくらいは一緒に食べられるよ」と笑って言っていた。ライブを観て、今の奇妙な関係性が音にしっかりと反映されていることを痛感した。彼らは、それぞれが全力でそれぞれの強度高い音を鳴らし、その強い音は塊となって会場で弾ける。ここには、ハーモニーやシナジーといった調和ではなく、ただただスパークする音塊がある。多少の飛躍を承知で言うが、yahyelの今の音楽には、私たちが目指す一つの社会の在り方が提示されているようにも思う。無理やりに分かち合おうとしないこと、皆が繋がれるという幻想にとらわれないこと。それぞれがそれぞれの信じるものをただただ強度を持って発していく――結果的にそれが人の身体を揺らし心を動かすという事実。最後に、四人は照れながらも肩を組んで観客に挨拶していた。yahyelらしからぬエンディングだが、彼らは今でも「すれ違っている」からこそ、この繋がりはリアルだ。
2010年代半ば、私はかつてのyahyelにもどかしさを感じたことを覚えている。当時、斬新な音楽と映像を駆使した彼らの表現は間違いなく東京の先鋭的な音楽シーンの中心にあり、多くの若者がそれに憧れていた。けれども、いわゆる「クリエイティブな」人たちの支持を高めていった結果、yahyelはアイコニックな存在になり、単一的な記号で語られるようになった。ポスト・ダブステップにアンビエントR&Bに……もう本人たちも言われ飽きただろう。結果、その浮遊するような音響的サウンドは、あたかもフィジカルが欠落しているようなイメージに誤解され伝わっていった気もする。象徴的な存在になったがゆえに、一つの印象に回収されてしまうことのもどかしさがあった。
けれどももうバンドはそんな地点にはいない。この日のライブを観て、そう確信した。yahyelは肉体とか非-肉体といったような安易な二項ではなく、両者の絡み合いの中で、とにかく強度高い表現を実現している。特に“ID”や“Iron”のパフォーマンスにはその音塊の強靭さを感じた。そしてそれは、この四人でしか成し得ないのだ。yahyelの新たなフェーズが本格的に始まった。次は6/27恵比寿LIQUIDROOM、バンドはまた新たなアイデアを披露するようだ。(文 : つやちゃん 撮影 : Yuichi Akagi(eightpeace))
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