科学や平和への貢献をたたえる最高の栄誉・ノーベル賞が設立されたのは、ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルが、自らの死を伝えるフランス紙の誤報「死の商人、死す」を目にしてショックを受けたことがきっかけだったとする有名な逸話がある。この話はどこまで本当なのだろうか。パリの現場を訪ね、取材すると、巨万の富を社会にどう役立てるかに思いを巡らせた晩年の科学者の姿が浮かんだ。
定説はこうだ。1888年4月12日、当時、母国スウェーデンからフランスに移り住んでいたノーベルが、パリの街角の店先で、自らの死亡を伝える新聞記事を目にする。見出しは「死の商人、死す」。ノーベル本人と兄ルドビグとを取り違えたフランス紙の誤報だったが、汚名が死後もついて回ると悟ったノーベルが、これをきっかけにノーベル賞の創設を決意する。
実際、石油業を営んだ兄ルドビグとノーベル本人を取り違えた訃報記事が、フランスの国立図書館に残っている。フィガロ紙は88年4月15日付で「人類に貢献した人だとは伝えにくい人物が(仏南部)カンヌで死亡した。ダイナマイトの発明者、スウェーデン人のノーベル氏」と報じた。同紙は翌日、「パリ在住のノーベル氏は健在」との訂正記事も掲載した。
だが、ノーベルの兄ルドビグが実際に死去した88年4月12日や近接する日付のフランス紙で、…
からの記事と詳細 ( ノーベル賞、始まりは「死の商人、死す」は本当か ある発明者の軌跡 - 毎日新聞 - 毎日新聞 )
https://ift.tt/3CW8i2S
No comments:
Post a Comment