ベテランが泳ぎ切った。東京五輪で競泳最終日の1日、男子400メートルメドレーリレーの一員として背泳ぎに出場した31歳の入江陵介(イトマン東進)。結果は6位だったが日本新記録で締めくくり、招致から関わった五輪への長い旅路を終えた。
◆13年、ブエノスアイレスから
現役のアスリートとして歓喜の輪の中にいた。2013年9月、ブエノスアイレス。国際オリンピック委員会総会で「TOKYO 2020」と記された紙が示され、アナウンスが響くと、日本の関係者とともに喜びを分かち合った。
「ブエノスアイレスに一緒に来てほしい」とオファーを受けると、迷いはなかった。08年北京、メダル3個を獲得した12年ロンドンとすでに五輪2大会に出場していたトップスイマーは「人生の大きな経験。こういう機会はない」と気持ちを高ぶらせた。
現地では日本語教育を受ける子どもたちと交流した。「言葉で表せない舞台。テレビで見るよりも生で見たほうがすごい。出ている選手はさらに世界が広がる」。メダリストとして五輪の魅力を伝えようと奮闘した。東京で五輪が開かれるという興奮を覚えて帰国したが、選手として五輪に出る難しさも身に染みている。「トップで居続けない限り続けられる世界ではない。(東京五輪は)あまり考えないようにしていた」。目の前の試合に集中した。
◆16年、リオでは引退も考える
16年のリオデジャネイロ五輪は出場したがメダルなしに終わった。引退にも揺れたが、休養を経てプールに戻った。やり残したことがあるとの思いに駆られたのは、自らも招致に携わった東京五輪の存在も大きかった。「出られる可能性があるのに辞めてしまうのはもったいない」。競技への思いをつなぎ留めた。
17年、19年と世界選手権では表彰台に上がれなかった。「結果も出たり出なかったりと苦しんでいるが、20年(東京五輪の結果)が良ければ本当に万々歳」。31歳になっても日本選手権で2冠を達成して代表権をつかむと、東京五輪本番では個人種目で4大会連続となる決勝進出を果たした。
ブエノスアイレスで「トーキョー」の言葉を聞いた日から8年。五輪開催への賛否が渦巻いていることも理解している。それでも、「アスリートとしてこの舞台に立たせていただいたことに感謝している」。自身4度目の五輪を、全力で泳ぎ切った。 (磯部旭弘)
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