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Friday, May 24, 2024

[始まりの1冊]『戦略外交原論』 2011年 兼原信克さん - 読売新聞オンライン

 『戦略外交原論』は、早稲田大学法学部での講義の記録である。尊敬する栗山尚一外務次官が早稲田大学に残された講座で、歴代現役外交官がその後を襲ってきた。幸い学生諸君は強い関心を示してくれて、授業の後は質問攻めにあった。十数年 った今も慕ってくれる学生もいる。教師 (みょう)() に尽きる。

 戦後日本の外交論争は、長い間、冷戦の強烈な磁場の下で、自民党と社会党及び共産党が激突する「55年体制」の枠組みに縛られていた。それは「ワシントンにつくのか、モスクワにつくのか」という一次元の体制選択論争であった。自民党は日米同盟、防衛力整備を唱えたが、東側に軸足を置いた野党は何でも反対であった。日本の安全保障政策はしばしば ()() した。キッシンジャー氏が名著『国際秩序』でいみじくも述べたように、日本は形だけ冷戦に参加したが、実際には参加できなかったのである。

 この講義を始めたとき、冷戦が終わって既に20年が経っていた。日本は自由主義社会のリーダーの一人である。自らの信じる自由、民主主義、法の支配といった価値観を堂々と掲げ守る国である。敗戦国の くびき を外した日本は、現実主義の立場から外交、安全保障をどのように構想すればよいのか。自分の力で日本外交の針路を考えて欲しい。その思いを若い人に伝えたかった。

 現実主義の外交とは、勢力の均衡による安定を価値とする。会社の中の派閥の均衡と同じである。外交は、生命力のある正しい価値観を掲げ、富を生み出す創造力を持ち、軍事的にも力のある国々のチームに入り、戦わずして勝ち続けることを最善とする。外交が崩れたときも、強いチームであれば抑止を効かせて戦争を食い止め、外交交渉を復活させることが出来る。吉田茂首相、岸信介首相が選んだ西側諸国との協調路線は正しかった。

 しかし、今、前世紀に世界の富の ほとん どを生み、強大な軍事力を誇った西側先進工業民主主義国家群が、史上初めて相対的に縮小に転じている。グローバルサウスの登場である。特に、台頭した中国が西側に背を向け始めたことが危惧される。経済発展に夢中になっているインドやインドネシアといった新しいリーダーたちと、どう21世紀の国際システムを構築するのか。日本外交の力量が試される。

 グローバルサウスの人々と向き合うには、価値観の問題が避けて通れない。彼らは、過去2世紀の間、人種差別と植民地支配に苦しんだ人々である。かつて同じ悔しさを経験し、国際社会の不義に憤った日本だからこそ、今日、あらゆる差別を否定し、個人の尊厳と多様性を尊重する自由主義秩序が地球的規模で広がっていることの意義を みしめることが出来る。日本は、アジアで唯一、議会制民主主義を130年余り実践してきた国である。自由と民主主義の大切さを、腹落ちする自分の言葉で説明できるはずである。グローバルサウスの雄たちを、自由主義秩序を共に支えるリーダーとして迎え入れ、責任を分有するよう説得しなくてはならない。

 本書出版の翌年、麻生太郎元総理から筆書きの書簡をいただいた。『戦略外交原論』を面白く読んだと記されていた。その直後に立ち上がった安倍総理官邸に副長官補として呼ばれた。私の人生を変える一冊となった。=寄稿=

  兼原信克 (かねはら・のぶかつ) 1959年、山口県生まれ。東大法学部卒業後、外務省入省。国際法局長などを歴任し、第2次安倍政権で内閣官房副長官補や国家安全保障局次長を務める。19年退官。現在、同志社大特別客員教授、笹川平和財団常務理事。

 政府を退職した後は、同志社大学で (きょう)(べん) をとって、若い人たちに安全保障論を講義しています。また、シンクタンクの笹川平和財団で常務理事を務めています。故郷の英雄である吉田松陰先生の (そう)(もう)(くっ)() の精神で、日本の安全保障のために発信し続けていきたいと思います。

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