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Monday, June 5, 2023

吉野ヶ里遺跡の内部調査始まる 赤で塗られたような跡見つかる ... - nhk.or.jp

弥生時代後期の有力者のものとみられる墓の一部が出土した佐賀県の吉野ヶ里遺跡では5日から、墓のふたを開いて内部の調査が始まりました。
内部からは、ほかの有力者の墓で確認されている赤で塗られたような跡が見つかったということで、調査を行っている佐賀県は、副葬品がないかなどをさらに調べることにしています。

吉野ヶ里遺跡では、10年ぶりの発掘調査が行われてきた遺跡のほぼ中央部でことし4月、弥生後期の石でできた墓、石棺墓が出土しました。

石棺墓は、見晴らしの良い場所で単独で見つかっていることなどから佐賀県は、当時の有力者のものと見ています。

現地では5日午前10時から内部の調査が始まり、4枚の石のふたのうち3枚を、重機を使って持ち上げました。

石棺墓の中は土砂で埋まっていましたが、県によりますと
内部からは、赤の顔料で塗られたとみられる跡が見つかったということです。

佐賀県文化課文化財保護・活用室の白木原宜室長は「弥生時代赤色の顔料を使うとなると、副葬品を持っているような有力者の墓が多い。どういうランクの人が埋葬されていたかのヒントになる」と話しています。

吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の長期にわたって栄えましたが、最盛期を迎えていたとされる弥生後期の有力者の墓は見つかっていません。

佐賀県では、今後2週間ほどかけて墓の内部を調査し、副葬品がないかなどを調べることにしていて、邪馬台国が存在したとされる時代の新たな手がかりの発見につながるかが注目されます。

5日の調査では、開いた3枚の石のふたのうち1枚から、裏側に「×」といった交差する線がたくさん刻まれているのが確認されました。

こうした印は、別の2枚のふたの表面にも刻まれていて、埋葬した際に何らかの意図をもってつけられたとみられています。

佐賀県文化課文化財保護・活用室の白木原宜室長は「印が内側から確認されたのは初めてだ。印に『封じ込める意味』があるのならば、なぜ内側に向けられているのかなど、当時の葬儀のあり方を考えるうえでのヒントになる」と話していました。

また、内部から赤で塗られたような跡が見つかったことについては、「弥生時代赤色の顔料を使うとなると、副葬品を持っているような有力者の墓が多い。どういうランクの人が埋葬されていたかのヒントになる」と話しています。

吉野ヶ里遺跡では、弥生中期の王の墓は見つかっていますが、吉野ヶ里が全盛期を迎え、邪馬台国があったとされる弥生後期の王の墓は見つかっていません。

白木原室長は「吉野ヶ里遺跡ではこれまで後期の有力者の墓は見つかっていないので、邪馬台国の時代ということになれば、論争に一石を投じることになるのでは」と述べて、「畿内説」や「九州説」が唱えられ論争が続いている邪馬台国の所在地に、一石を投じる可能性があるとしています。

佐賀県の山口知事は5日、報道陣の取材に対して「少しでもなにかの副葬品がみれればと期待していたが、やはり土砂が流入していて全面が覆われていた。ただ、期待感はさらに高まった。来週の半ばごろには全容が判明するのではと思っているので、期待してほしい」と話していました。

吉野ヶ里遺跡の発掘に長年携わってきた考古学者の高島忠平さんは「想像していたよりかなりの土砂が流入していて、骨は無くなっていると思うが、青銅の鏡、鉄の刀か剣、玉は残りやすいので副葬されている場合がある」と分析していました。

また、墓のなかから赤で塗られたような跡が見つかったことについては「赤色の顔料を用いた棺おけは限られた人にしか使われないので、埋葬されたのは身分が高い人と考えていい」と話しました。

吉野ヶ里遺跡では、弥生中期の王の墓は見つかっていますが、吉野ヶ里が全盛期を迎え、邪馬台国があったとされる弥生後期の王の墓は見つかっていません。

高島さんは「吉野ヶ里の巨大な環ごう集落が形成された弥生後期とリンクする今回の有力者の墓の調査は邪馬台国論争にインパクトを与える発掘につながると期待している」と話し、邪馬台国が存在した時代の手がかりが見つかることに期待を寄せています。

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