長野市安茂里地区の地下ごうに関する新たな資料を分析した研究者が講演を行い、「『大本営海軍部壕』建設の始まりだったことはほぼ確実だ」と指摘しました。
長野市の安茂里地区で太平洋戦争末期に掘られたとされる地下ごうについては、地元の研究会による調査で、ことし9月、「海軍の軍令部職員約1000人用の、ごうを造れと言われた」などと書かれた元軍人2人の手紙の写しが見つかりました。
研究会が分析を依頼した、軍事史が専門で、明治大学文学部の山田朗教授が、6日地区の公民館で講演を行い、「当事者が書いたかなり有力な資料といえる」と述べました。
一方で、発見された手紙の中には、「着工しなかった」とも書かれていたことから、山田教授は、「実際に掘られたものは、軍令部の地下ごうそのものでなく、通信隊などの予備工事だったのかもしれないが、この地下ごうが『大本営海軍部壕』の建設の始まりだったことはほぼ確実だ」と指摘しました。
また、山田教授は、「陸軍が長野市松代で大本営移転に向けた地下ごうの建設を進めていたため、海軍も工事を行うことで本土決戦に向けた発言力や存在価値を維持しようとしたのではないか」と述べ、背景についての考えも示しました。
地元の研究会では今後も、地下ごう周辺の軍事施設跡の現地調査などを続けることにしています。
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