始まりは16人のアーチェリー競技会
パラリンピックの前身となる大会が初めて行われたのは、1948年のことだ。ただし、身体的な障がいを持つアスリート向けのスポーツは、少なくともその60年前から存在していた。ドイツのベルリンで耳の不自由なアスリートたちが自分たちのスポーツクラブを作ったのは、1888年のことだった。 しかし、障がいのあるアスリートたちによる競技会という考え方は、第二次世界大戦まで広まることはなかった。戦争で負傷した兵士や民間人を支援するため、英国で脊髄損傷センターの運営にあたっていた医師、ルートヴィヒ・グットマン氏が率先して行った運動がきっかけだった。グットマン氏は、競技会への参加が精神的、身体的なリハビリになると考えた。さらに、障がい者が社会的に顧みられていないことを憂慮し、スポーツを「まひ患者の社会復帰」の一環と見なした。 「障がい者のスポーツは、社会的な視点に大きな影響を与えることがわかりました」。グットマン氏は、IPCのWebサイトに掲載されているインタビューでそう述べている。「まひ患者がスポーツを受け入れている様子を目にしたとき、この活動を始めることが必要だと思ったのです」 1948年、英国ロンドンでオリンピックが開幕したのと同じ日に、グットマン氏は障がいのあるアスリート向けの初めての競技大会を開催した。車いすに乗った元軍人の男女16人がアーチェリーを競い合うものだった。 その後、この大会は毎年開催されるようになり、参加するアスリートも年々増えていった。やり投げが種目に追加され、大会の名前は、グットマン氏が務めていた病院名にちなんで「ストーク・マンデビル競技大会」となった。1952年にはオランダが選手団を派遣し、国際大会になった。 1960年には、ストーク・マンデビル競技大会が正式にパラリンピック競技大会となった。この年の夏季オリンピックの閉幕後、23カ国から400人を超える障がいのあるアスリートが、ローマのオリンピックスタジアムに集結した。アーチェリー、バスケットボール、競泳、フェンシング、やり投げ、砲丸投げ、こん棒投げ、卓球、五種競技、ビリヤードの一種であるスヌーカーなどが行われた。 それ以降、パラリンピックはオリンピックの直後に同じ都市で行われるようになった。「パラリンピック」という名称は、ギリシャ語の接頭辞「para」に由来する。この言葉には、「沿う」「並行」という意味があり、オリンピックとパラリンピックが合わせて行われることを表している。
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