東日本大震災の被災者にピアノを届ける活動を続けてきた市民団体「被災地へピアノをとどける会」(仙台市)が、震災から10年となる節目に活動を終えた。5日、520台目となる最後のピアノを宮城県東松島市の保育園に届けた。会を結成したきっかけは、ある女の子の「ピアノ、流されちゃった」という一言。会の委員長、庄司美知子さんは「子どもたちがピアノを続けられるよう全力を尽くせた。日本中、世界中からの支援が活動をつないでくれた。本当に感謝している」と話す。
震災から約1カ月半後。庄司さんは、同県南三陸町の民宿で演奏会を開いた。町は津波により約6割の家が全壊し、主要産業だった水産業も深刻な被害を受けていた。
会場の雰囲気は沈んでいて、民宿の広間に集まった住民の中には、毛布をかぶって下を向いている人もいた。海にまつわる歌のリクエストが寄せられていた。ためらいながらも、庄司さんは演奏した。
ピアノを弾くうち、おばあさんたちが泣き始め、演奏に合わせて歌を口ずさんだ。庄司さんはその光景を忘れることができない。演奏会が終わると、女の子が駆け寄ってきた。「私のピアノ、流されちゃった。また弾きたいな」
2011年6月、全国の演奏家に呼びかけて「とどける会」を結成した。庄司さんら4~5人の中心メンバーはそれぞれの仕事が終わった後に深夜までミーティングを重ね、手弁当で会を運営した。数カ月後にはピアノの寄付が全国から舞い込む。
幼かった娘と一緒に練習したピアノ、亡くなった母の形見のピアノ――。寄せられたピアノには家族との思い出をつづった手紙が添えられていた。ウィーンの演奏家から海を越えてピアノが届いたこともあった。
会のメンバーには被災者もいる。同県石巻市のピアノ調律師、阿部隆さん(66)は、沿岸部にあった家が津波で流された。会に協力していたピアノ運送会社の厚意で、倉庫2階の社員休憩室を借り、1年間そこで生活した。仕事を終えると連日、倉庫で寄付されたピアノの修理に汗を流した。「新品みたい、と喜んでくれる人の顔を見ると、うれしかった」とほほ笑む。
震災から10年となるのを前に、寄付や被災者からの要望がなくなったため、会は活動を終了した。
演奏会で庄司さんのもとに駆け寄った女の子、三浦萌さん(16)は現在、高校2年。震災時は小学1年で、5年の時にアップライトのピアノを譲り受けた。「自分にピアノがなかったら、他に何に打ち込んでいただろうというくらい大切なもの。贈ってもらったピアノのおかげで練習できた」と感謝している。
三浦さんは5月、譲り受けたピアノで練習を重ねた「幻想曲さくらさくら」を仙台市で開かれる演奏会で披露する予定だ。「いつか庄司先生にも聴いてほしい」と顔をほころばせる。被災地に届けられたピアノは今、それぞれの場所で豊かな音色を奏でている。【菊池陽南子】
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