反政府集会やデモ行進が続き、非常事態宣言が発令された(22日解除)東南アジアのタイ。反政府派の当初の主張は軍政の流れを引くプラユット政権の退陣にあったが、ここに来て中心となっているのが批判を伴う王室改革の訴えだ。それは刑法上の不敬罪の廃止にとどまらず、王室財産や国王直属の軍隊の見直しも含まれている。その底辺で意識されているのが一部の人たちが興味本位で指摘するワチラロンコン国王(68)の長期ドイツ滞在という問題だ。
いち早く危機感
反政府運動は当初、軍の政治への関与を嫌う市民の声から始まった。これに新型コロナウイルスの感染拡大により経済的な損失を受けた人たちの不満や、富裕層ばかりが潤う仕組みとなっている富の偏在に対する国民の怒りの声などが加わって、徐々にその輪を広げていった。
節目となったのは、9月19日に王宮前広場で行われた大規模集会だ。全国各地から約5万人の市民が参加。現政権の退陣や憲法改正に加え、王室改革などの必要性が強く叫ばれた。学生の主催に不釣り合いな大規模なステージにコンサートを思わせる大型スクリーンも登場し、集会への何らかの組織的なバックアップも明らかになった。
10月14日に民主記念塔前で開かれた大規模集会でも王室批判は衰えを見せず、国王のドイツ滞在を皮肉るドイツ国旗が宙を舞った。特定の政治勢力の関与も一段と浮き彫りとなり、ヘルメット姿に屈強な男たちがスクラムを組んで先陣する手慣れた行動は、ある種のプロフェッショナルを感じさせた。15日以降は夕刻の繁華街や公共交通機関が狙われるようになり、政府はやむなく非常事態宣言を発令。反政府運動は9月以降、明らかに態様を変え、洗練された戦略が若者を巻き込む組織戦となっていった。
こうした中でいち早く危機感を感じたのが国王自身であった。滞在先の東北部ナコーンパノム県からテレビメッセージを送り、「この国には国と王室を愛する国民が必要だ」と語りかけた。2016年12月の即位以降、国王が国民に直接話しかける姿はほとんどなかった。
この時、国王は長期滞在するドイツから前国王の命日(13日)に合わせて一時帰国の最中であった。名門国立大学の卒業式にも出席するため、通常よりも長い滞在となる予定だった。その滞在期間中に、足元で政権を転覆しかねない国民の反政府運動が起こったことを知った。
国王がドイツに滞在する本当の理由は分からない。大衆紙などは下品な推測を打ち立てて書き連ねるが、全てが事実ではないだろう。新憲法制定時、国王は自身が海外にあるときの摂政の規定について最後まで譲らなかった。王室財産や軍隊の一部を直属としたことも、万が一を考えればありえない話ではなかった。前国王に比べ国内基盤が未成熟の現国王が、まずは体制を固めたと考えて何の疑問があろうか。
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